ビスタワークス研究所の志事(23) 文・大原 光秦

敬神崇祖の生き方

 安倍総理大臣が辞任されました。2度目の就任以来、重なる表層的な誹謗や中傷をよく辛抱されて、我が國が積み残してきた重要課題を解決に向かわせるための糸口を導いていただきました。何を置いても感謝の意を申し上げます。
 その辞任会見から後もなお貶め、追い打ちをかける輩が散見されました。禮を失った人間ほど醜いものはなく、不快はもとより義憤やる方のないところでしたが、いっそこの機会にその種の輩は積極的に露出していただき、厚顔を晒せばよい、と考え至ります。厚顔を晒すといえば、菅総理による学術会議会員の任命拒否にまつわる支持、不支持の立場からの異見表明。また愛知県知事リコール運動の賛成派、反対派の衝突。皆さんは、それぞれの主張をどのように受け止め、お考えになっていますか?

 かく申す私も言論人の端くれとして、何をどのように伝えるのか、というところには心を砕きます。断定的な言挙げはしたくない、しかしはっきり言わないと多くには伝わらないという葛藤は常にあり、聴いてくださる方々の反応を観て話の運び方を選ぶように心がけています。とくに歴史や政治、感染症の話題などは個々人の世界観に揺らぎが大きく、ときに聴講者の中にご機嫌を損ねる氣配を察したときには、「考えに違いがあることは大事なこと。遠慮なく手を挙げて異見を述べてください。しかし、學びが少ないとただ耐えておられる方は席をお外しになった方がいいですよ」と、丁重にご退場願うようにしています。・・・もちろん本意のことではありませんし、そうならぬよう努めていますが、過ぎた妥協で語りを和らげたり、逆に論争したりしたところで、情報を活かすべき方々にとっては無益な時間、本末転倒の事態となります。意に添わぬ、と不機嫌のままでおられるよりは、童話を楽しむ同類で群れておればよいこと。しかしでき得るならば、異見を交わし、誤解、曲解を解きほぐし、知恵を寄せ合って真理、すなわち智慧を求めたいものです。

直線で考える。丸で考える。

 従軍慰安婦や徴用工訴訟、モリカケ、桜を見る会などの「問題創作活動」により、私たちは数々の「対立」に付き合わされ、機会を損失してきました。自説を押し通そうとする人は、異説を説く人を排他的に扱うもの。しかも口汚い言葉を吐く輩が少なくありません。そしてその強硬さをヒーローイズムと勘違いした同調者が閥を成し、対立構造を深め、問題を修復不能なものとしてゆく。目的はおろか目標すら見失った集団的無能です。  私たちは無自覚の内にそうした流れに巻き込まれ、白か黒かという二元論的対立軸で考える様式を日常社会で反復学習し、問題解決能力を退化させ続けていることに氣付かなければなりません。戦後、利得者たちによって滅失された日本人本来の思考様式に立ち戻らなければならないのです。

 示道塾では、この○×式二元論で考えるモデルを直線思考と言っています。事象を直線的な単因果で結び付けようとする思考様式です。しかし、人間の営みに絶対的な正解などなく、あらゆるものは過程にあり、断片的で曖昧な記憶のなかで相対してあるものです。そのなかでも、よく生きるための手掛かりを求めるならば、万事は陰と陽が廻り巡る、糾える縄の如きものであり、万象は循環的相互関係の中で息づいているという真理から外れないように心がけることでしょう。それを循環思考と言っています。循環とは輪、すなわち和であり丸です。〇から着想を得ることで繁栄を永らえることを直観した大和の民は、単因果から戦略を導くことよりも、即今、中今に最善を尽くすことに意識を全集中することで平和を成しました。神々と祖先は、八紘為宇を義として國を開き、和を以て貴しと為すと意宣り、旗に日の丸を描き、國章には十六方向を照らす太陽の象徴、菊花紋章を戴いたのでしょう。

 さて、7月30日に他界なされた李登輝元台湾総統は、「リーダーたるものは信仰を持ちなさい」と仰っていました。あれほどの大志事を成し遂げた大人物でも不安で眠れない夜が幾日もあったと聞きます。そうした時に拠るものとして、先生は聖書を枕元に置いておられました。戦後、日本は無宗教を自覚する人の割合が7割を超えたと言います。戦後復興の原動力だった「会社教」を崇拝する人など全滅したといっていいでしょう。私たちは何に拠って立つべきか。士たる日本のリーダーは、「敬神崇祖」に思いを致し、覚醒することが急がれます。なにより自らの錬成を意宣り、実践躬行する日々です。