ビスタワークス研究所の志事(13) 文・大原 光秦

鉄腕アトムは生まれるか

 夏真っ盛り。各地に赴いてお会いする皆さんからは、よく「海外に行ってました?」と聞かれます。日焼けた顔のせいです。月曜に出発して土曜日に帰宅する我が家は、日本の田舎、高知のまたど田舎にあります。朝から降り注ぐ蝉の声、夕刻からは蛙とバッタの合唱に囲まれて賑やかな夏。庭から広がる田園風景は、見渡し500メートルなーんにもありません。40数年前の少年時代と変わらない、のどかな空気が流れています。土佐の夏。庭で、久しぶりに会う子どもたちと戯れているだけで真っ黒けです。毎週末、田舎に里帰りしているようなもので、考えようによってはまんざらでもない暮らし。チビたちと遊んでいて思い出すのは、少年時代に胸踊らせて読み耽った鉄腕アトム。今回はそんな話題です。


 先号の「ビスタワークスの志事」を書いていた3月某日、驚くニュースを耳にしました。米グーグルが傘下に収めていた英ディープマインドの人工知能が、囲碁の世界トッププレイヤー、韓国のイ・セドル九段との五番勝負で四勝したというのです。2010年から始まった第四次産業革命。今年1月にはトヨタ自動車がシリコンバレーに人工知能の研究所を開設しています。5年間で総額10億ドルを投じるというプロジェクトです。クルマはヒトが運転するものという、堅持していた方針を大転換して完全自動運転車開発に乗り出したというのは、それなりにビッグニュースだったと思うのですが、テレビはというと芸能界の不倫問題を繰り返し取り上げて盛り上がっていましたね。
 IoT※1の躍進的進化に注目してはいましたが、人工知能が囲碁で人間を凌ぐ日がこんなに早く訪れるとは思いもよらないことでした。昨年末時点での専門家の予測でも、まだ10年は要するとされていました。それが、ディープラーニング※2技術の確立によって突然の変異を起こしたのです。計算機が発展したノイマン型コンピュータの本流から、人類の脳をモデルにしたニューロ・コンピュータが実用化の段階に入り、人間の勘や直感に似た判断ができるまでに至ったというのです。この技術革新はIoTネットワークやスマートマシンに組み込まれ、あらゆる産業の躍進に猛烈なスピードとインパクトを与えていくことは必至です。つい先ごろはトヨタ自動車が米ウーバーテクノロジーズ(ライドシェア主力)と業務提携。また英ARMホールディングス(半導体コア設計大手)を3兆3千億円で買収したソフトバンクの動きも目が離せません。グーグル、フェイスブック、マイクロソフト、IBM、アップル、百度、テスラ・モーターズなど、人工知能開発・活用のデッドヒートが始まっています。


 世界経済のなかでポジションを下げ続けている日本。それは労働者人口の減少と連動しているのですが、さらに深刻なことに、労働の中核となる青壮年層の勤労意欲が低減の一途を辿っています。といってテロが頻発するこの時代、外国からの労働者受け入れも困難です。もはや民間活力では解決を図ることができない状態。必然、その現状打破への期待は国家へと寄せられ、内閣府は「科学技術イノベーション総合戦略2016」素案で、人工知能を社会実装まで推進することを強調。経済産業省は第四次産業革命を柱とする成長戦略※3を策定しました。人工知能まで他国の後塵を拝することになると、日本経済は取り返しのきかない事態になるという危機意識がその背景にあります。国を挙げて人工知能の研究開発に資源投下し、IoT、ビッグデータ、スマートマシンを活用した産業改革に踏み込むこととなったのです。これは、ものすごく単純に言えば、正確さや反復スピードでこなす定型業務はロボットにどんどん譲り渡して、人間は人間にしかできない高度な仕事に就くようにしていきましょう、ということですね。


 4月以降に始まった示道塾や克己塾でこの話題を積極的に扱うようにしているのですが、多くの皆さんにはあまり現実味のない物語のようです。たしかに経験的なところで推測できる話ではありませんし、後で述べる30年後の知能爆発なんて予測も対策もしようがないのもわかります。しかし人類がそこに向かい始めたことは事実。今の小学生が成人する頃、現在の職業は半分以上がなくなると言われています。少なくても今、自分たちにできることに集中し、打つべき手を打ち始めること。当面の科学技術では補えないであろう領域・・・人間の心を慮って対応する、人間同士のチームワークで成し遂げる、人工知能を道具として活用して人類の未来を創造する・・・そうした、「志事」に励む人間ならではの力、人間力=人間性知能※4を具体的に強化し始めることが急務です。


 2030年までに人間水準の汎用人口知能(AGI※5)が出現するという専門家たちの予測は間違いなさそうです。スーパーコンピューター「京」の性能を遥かに凌駕しながらもスモールサイズ、低電力で稼働するスパコンの開発も進んでいっているようです。人間は、その頭蓋骨に収まった脳神経細胞を増やすことはできませんが、ニューロ・コンピュータは、それを構成するニューロン、シナプス数を無限に増やしたり、他のコンピュータと接続することができます。ひとたびAGIが出現すれば、以降の技術開発は人工知能に委ねられることになり、AGIがさらなる知能、ASI(人工超知能)をプログラミングする「知能爆発」が起こるとも言われています。2045年問題で話題になったシンギュラリティ※6の到来が、急速に現実味を帯びてきたということ。理論物理学者スティーヴン・ホーキング博士やマイクロソフト創業者ビル・ゲイツ氏、テスラ・モーターズCEOのイーロン・マスク氏らが、AGIの開発は人類にとって最悪のシナリオの始まりだとする警鐘を発しています。一方では、人類にとって明るい未来が来ると楽観視する学者も多く、そちらの方が優勢なようですが、歴史を考え合わせると私にはとてもそう思えません。映画ターミネーターで描かれたように、人工知能が反乱を起こすようなことは考えにくいのですが、享楽に溺れ、時間を持て余し、無益なことを考え始めた一部の人間によって、人類が破滅へと導かれることは想像に難くありません。地球人類史上かつてない、極めて数奇な時代を生きていく私たち。鉄腕アトムの心と力が必要となりそうです。

※1 IoT:モノのインターネット(Internet of Things):情報だけでなく、モノ(テレビや掃除機、自動車など)がインターネットに接続され、相互に制御し合う仕組みや社会。
※2 ディープラーニング(深層学習):多層構造のニューラルネットワークを用いた機械学習。ニューラルネットワークを拡大することに課題はあるが、人間の脳活動に近い汎用的知能の実現が期待されている。
※3 第四次産業革命を柱とする成長戦略:経産省の産業構造審議会の「中間整理」として4月27日に公表された。ドイツ政府が2012年から打ち出している「Industry 4.0」を日本語にしたもの。人工知能やIoTを活用することで産業構造を大きく転換しようという取り組み
※4 人間性知能(Humanity Quotient):前頭連合野における人間らしさを司る知能のはたらき。様々な知能を束ねる統括的なこの知能は、人間らしい社会的生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。
※5 汎用人工超知能 (ASI; Artificial Super Intelligence):多くの見方では、2029年には人間の知能と同水準の汎用人工知能(AGI; Artificial General Intelligence)が生み出されると言われている、その後の指数関数的進化によって人間の100倍から1,000倍の知性を持つ人工超知能(ASI; Artificial Super Intelligence)が誕生すると予測されている。
※6 シンギュラリティ Technological Singularity 技術的特異点:2045年に人工超知能によって起こるとされる。科学技術の進展の速度が人類の生物学的限界を超えて意識を解放することで超加速し、ポストヒューマン(跳躍的に進化した人類)や人工知能が形成していく文明は、現在の人類には理解できないものへと変貌していくと予言している。