ビスタワークス研究所の志事(11) 文・大原 光秦

万物の霊長たる人間は「環境を作る」力を持っている。
その実践こそ立命である。さもなくば環境に支配される。
安岡正篤

 人生を自在に生き抜くためには、ここぞという時に自らの舞台を動かす力が必要です。就職や結婚などの必然とも言える局面に限らず、何気ない中で機を捉え、決断する力。私事ながら齢五十を数えたこの年、人間、変わるべく生きればこそ変わるものだと思い至り、主宰する示道塾を立志篇と立命篇とに分け、環境を創り変える力について皆様とともに考えて参りました。機を活かす人と逃す人、その違いはどこから生まれてくるのでしょうか。


 私自身、未だ大きなことは何一つ成し遂げておりませんが、思い返せば18歳で学を志し、23歳でトヨタビスタ高知(現ネッツトヨタ南国)に就職。始まりから採用と新人教育を任ぜられたことで多くを経験し、30歳でバブル崩壊の影響により仲間が去っていく失意の日々を過ごす中、33歳で日本経営品質賞への挑戦を決意、35歳で受賞を果たします。40歳を機に身を固め、会社創業30周年を迎えた45歳でビスタワークス研究所を分社独立、仙台で東日本大震災に遭遇する中で示道塾を構想、今日に至ります。こうして概観すると、ある間隔で事が立ち現われ、進むべき道を選択していることが見えてきます。

子曰く、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。四十にして惑わず(或らず)。
五十にして天命を知る。六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。

 孔子の生涯に自分を重ねるつもりなど毛頭ありませんが、論語を少なからず意識してきたところはありますし、人生の進め方としては大いに腑に落ちるところがあります。齢五十を数えた本年、いよいよ天命を知る時と考え、立命篇で皆様と膝を交え、語り合い、よくよく義命を鑑みるうちに、自らの天命が立ち現れて参りました。誠に面白いものです。


 思い返せば、2001年に初めて㈱ブロックスさんのDoit!(会社紹介映像)の取材を受け、翌年日本経営品質賞を受賞した頃、トヨタビスタ高知は経営の大躍進を遂げていました。日本の最果てで"風変わり"と評されていたカーディーラーが、少しは知られる企業へと変貌を遂げた時代です。さらに省みれば、およそその10年前に私が入社した際、新卒採用をその新人に一任し、本社ショールームを現在の設計へと大改築するという決断。さらにはその10年前、トヨタビスタ高知を発足するという決断を下した男こそが横田英毅。齢37歳でした。

 横田の生き方を観ていると、建設的かつ大胆な決断をし得る事態を、過去の選択と精進の中で発生せしめていることがわかります。意思決定を迫られる状況が勝手に降りかかってくる、というものではなく、志を立て、選んだ決断に生き切る中で、新しい兆しを生み出す。明確な意図を持って意思決定をしていますから、事態の推移を注意深く観察し、情報を集めています。故に機を捉えやすく、知らない者には大胆に映る一手を打つことができるのです。

 その原動力となる志は、幼少期に端を発しているものです。受け継いだその命をいかに位置付けるかを定める原体験。人間の命には、個の生を超え、代々、脈々と、連綿と繋がり行き得る"はたらき"があります。それを自ら変えようのない宿命だと諦念し、断絶させていくのか。それともその中で義を見出して立命し生き、子らが継承する価値となるべく高めゆくか。機を活かすか逃すか・・・命の本質と向き合うことが肝要でしょう。

君はどこから来たのか、
そしてどこへ行こうとしているのか。
次々と「今」を投げかけ
過ぎ去って行く時の流れの中で、
君の宇宙はどんな空間と
タイムスケールをもっているだろうか。
トヨタビスタ高知発足当時の会社案内より

 トヨタビスタ高知を誕生させた横田の決断から35年の歳月が流れました。現在はネッツトヨタ南国と名称を変え、今、また新しい夜明けを迎えようとしています。自動車販売会社が置かれている環境、高知県という地域の未来に明るい話題はありませんが、そこで自分たちがいかにして生き、働くのか。自分たちの会社をどのような理想の会社にしていくか、スタッフ同士の小さな話し合いが繰り替えされるようになってきました。この8年間、前田穰社長率いる経営で財務基盤が整えられたところで、新たなる大躍進に向かう時機が訪れつつあります。愉しみでなりません。