ビスタワークス研究所の志事(31) 文・大原 光秦

互いに助け合い、道を共にするということ。

進歩のないものは決して勝たない

 今回の震災で思い出されるのは、大被害の出た奥能登のご出身である臼淵磐海軍大尉です。戦記「戦艦大和ノ最期」(吉田満著)のなかに出てくる大尉の言葉(写真:顕彰碑)で思い出される方も多いと思います。沖縄特攻出撃の前夜、最後の酒宴を開いていた海兵出身の士官と学徒出身の予備士官との間で、作戦の意義に付いて「戦死は軍人の誇りである」と主張する士官と「無駄死にである」と主張する予備士官との激論となりました。乱闘寸前のところで臼淵大尉がこの言葉を語り、一同が決意を定めたと描かれています。

 突然に襲いかかる自然災害。「そのいのちをいかに生きるのか」…このことが問われているように思えてなりません。昨年末の当コラムに書いたことが現象化していますので、今一度「勁く成る」ことについて考えてみます。

 去る2月27・28日に富士山麓にて日本示道塾互助共道隊連絡会合を開きました。前日の豪風から一転、雲ひとつない大空に聳える富士山のもとで、1日目はコミュニティセンターに集い情報交換、夜は遅くまで酒を酌み交わし語らう大座談会。2日目は桜咲く富士山本宮浅間大社にて正式参拝し、それぞれが意宣りを奉納する時間となりました。
 互助共道隊という名称は3年ほど前に打ち出したものです。2011年の東日本大震災が契機となり示道塾を立ち上げたことは以前に書きました。震災翌日に歩いた仙台。駅から外れて町中に入ると、そこで暮らす皆さんがそれぞれに粛々と考動されていました。身に起きたことにいまだ半信半疑ながらも為すべきことに専心する光景。ずっと歩いていて、えもいわれぬ感覚が私の内に立ち上がっていました。見も知らぬ私たち全員が、天に繋がるひとつの生命体であるかのような感覚です。

 ことばでは伝わりにくいですね。私はロックバンドを長くやっていたのですが、そのライヴステージに近い感覚でした。5人のメンバーで即興演奏して一つの作品を創造する。躍動するリズムと旋律に全員の魂とこころと肉体がシンクロする感覚。吹奏楽も少しやりましたが、それとは違う。指揮者のタクトに合わせて再現性を追求するのではなく、メンバーが一体となって生まれる再現性のないダイナミズム。バスケやサッカーなどのチームスポーツも近いのですが、そこには「敵」が存在する点で原理的に異なります。祭りで山車を曳き、神輿を担ぐ衆の一体感、あるいは神樂に最も近いかもしれません。全細胞が共振する変性意識状態です。

 被災した直後の現地がそうした「氣」に満ちていた、という話でした。
 人は、技術文明に依存すると安易に流れて怠惰そして傲慢になるもの。大自然に対峙するなど、自らの非力を観念したときに謙虚になります。我を慎み弁えて、為せることを成していのちを活かす。日本の被災地で互助が織り成されるのは、自分が全体の一部分であり、そして同時に全体でもある、ということを無自覚ながらこころ得ているからではないかと考えるのです。ひとり滅びても大切な人たちが永らえるならば本望。己は天に還り悠久の存在となろう。冒頭に紹介した特攻隊員たちの心境は、そのようなものではなかったかと感じます。

立志の功は、恥を知るを以て要と為す

 もう少し身近な話題に寄せて考えてみましょう。人間の集まりがその振る舞いにおいて2:6:2の割合に収束することはよく知られていますね。その比率はネッツトヨタ南国であれ中学校の学級であれさして変わらないもの。しかし組織力という面では当然に大きな違いがあります。どうすれば組織力を勁くすることができるのか。そう、まずは「私たちが大切にすることは何か」を明らかにして結束することですね。

 「大切にすることは何か」という問いは、「何をもって恥とするのか」という具体的な振る舞いに転換することができます。大切にすることが「ルールを守る」ことならば、それに違反する行為が恥となります。「子どもの子どものその子どもたちに耀く日本をつなぐ」といったビジョンを大切にするならば、その道に通じる主体的な選択をしないことが恥となるのです。「大切にすること」の概念階層が深まるほどに恥の態様が抽象的、精神的なものとなります。ときに「精神論はいらないです」とガンバる人がいますが、人間たるものが精神を生きる源泉とせずしてどうするのか。人間らしく、精神性を高くして傍樂ことによってのみ、個人が人間として勁く成長し、集団の「組織力」が高まります。是非話し合ってみてください、皆さんは何をもって「恥」とし、はたらいているのかを。

赤信号、みんなで渡れば?

 赤信号を横断することは交通規則上、禁止されています。渡っていると「恥ずかしい人」扱いされますね。しかし、大勢が渡っていると人の目が怖くなくなるものです。ハロウィンの仮装がいい例です。言うまでもなく、ここで確認したいのは遵法云々ではなく、独りではできないけど、みんながやるならやってみたい、という心理が人間には備わっているということです。

 数年前から「心理的安全性」という言葉が注目されるようになりました。社員が不安を感じている職場は生産性が低いという統計的事実から急速に普及した言葉です。それとセットになっている言葉が「ハラスメント」。最近は「マルハラ」なんていうのもあるらしく、保守系とされるある新聞が、「文末に句点を打つのをやめて絵文字を使いましょう」と真面目にアドバイスしているのを見て心底呆れました。

 赤信号、みんなで渡れば怖くない。この標語は心理的安全性を説明しています。安全が約束された青信号で渡るのは心理的安全性とは言いません。ぼんやり歩いているぐらいのもの。日本のぬるま湯社会そのものです。みんながリスクを承知でチャレンジしているのだから自分だって頑張れる、というこころ持ちが大切。失敗しても大丈夫という意識はそうした場から生まれます。職場の緊張感を取り払うことばかりに専心して安全な場を設けても、そのコンフォートゾーンで人間が成長することはありませんし、そこで得られる「社員満足」は大衆社員を増殖させることでしょう。

 皆さんの会社ではどんな挑戦をしていますか?みんなそれぞれの個人的困難と闘っていると思いますが、大同団結して公の精神でチャレンジしている人はひと握りでもいるでしょうか。企業の大義は「社会の繁栄に尽くす約束」でなければなりません。そのために危険をも冒すのだと。家族から「恥ずかしいから」と言われ、友人から「危ないからやめた方がいい」と忠告され、仲間の経営者から「氣でも狂ったのか」と評されるぐらいで丁度いいと思います。

世界の中にありながら世界に属さない

 恥の基準とは集団における暗黙の了解、「常識の水準」と言うこともできます。「常識」には、人を差別してはならない、といった禁止規範と、違いを包含して共創すべきだ、という実践規範があります。前者が規則で、後者は道徳と言うことができます。道徳規範は概念階層が深いため行為選択の幅が広く、どうすることが望ましいかを、その都度考えて選択し実践することになります。その道徳規範に基づいて各人が自らを慎み、よく弁えて行動する集団が本来の共同体(共道隊)です。
 日本人は戦後、共同体の一員であるという自覚を消失してきました。それに伴って生じる混乱に秩序をもたらすために新たに規則が設けられ、近年ではLGBT理解増進法などという愚法が施行されました。小学校が規則中心に運営されるのは、子どもたちが未熟であることに因ります。社会はおろか会社までもが規則的「ジョーシキ」で縛られると・・・言わずもがなでしょう。集団に適応すべく「規則的ジョーシキで考える」のか、それとも集団が発展、永続化するための「道徳的常識を考える」のか。常識そのものを問う存在が士であり、その常識に基づいて考動する存在が民であると整理しておくといいですね。

 最後に、おもしろくない話題ですが、あえて問います。  2020年に始まったコロナ騒ぎ。自らの意志で行動を選択し、適切に対応した日本人はどれだけいたでしょうか。政府、メディアの喧伝によって家から出ないことがジョーシキ人、つまり大衆の条件となっていましたね。気密性の乏しい「なんちゃってマスク」を争うように買い込み、もったいないからと同じマスクを連日装着する。「氣でも狂ったのか?」と独り言ちる保守反社の私は、2020年6月に示道塾を再起動しました。リモートではなく、全國行脚する平常運転の再開です。飛行機内だけはマスクを装着しないとCAさんに迷惑がかかるのでコソコソやっていましたが、それ以外では完全未装着。私とて、この狂った社会に存在することは避けようがありませんが、そこに属するか属しないかを定める真の自由は己の内にあります。

悲観的に準備をし、楽観的に対処せよ

 コロナ、マスク、ワクチンだけではありません。WHO欺瞞、2020米選挙不正・米議事堂占拠、ウクライナへの際限なき武器供与、ノルドストリーム破壊、アフガン撤退と中東戦争、香港問題、移民問題、軍備増強するテキサス、温暖化とEV、東京五輪、日本首相の迷走と内閣の混迷そして超過死亡激増と出生数激減、円安急伸と株価高騰…主流メディアの虚構が露呈し、概ね私たちが示道塾グループラインで共有してきたとおりになってきています。このかわら版がお手元に届くころには国際保健規則の改訂、新型体内複製ワクチンそして米大統領選を巡る大分断が予測されます。2025年を迎える日本、負けてなお眠り続けるこの國の舵を誰が握るのか…。ジタバタして止められる潮流ではないので、潮目を見極めて事態に備えなければなりません。…と言って、今から読書に勤しんで穴埋めしても間に合いませんし、霊的直感力もないとすれば…信頼に足る情報源とよき同志を持つことで勁くなるほかない。目を覚まし和合する時です。

 日本示道塾互助共道隊は、それぞれの地域でよい経営を志す士たちが示道塾を機会にして繋がることで、平時は人財課題の解決、有事は地域を超えた互助活動を展開する全國ネットワークです。政治結社でも宗教団体でもなく、規則はおろか会費すらない完全な勝手連。この日本で、子どもたちに耀く未来をつなぎたいと願うのは私たちだけではありません。私たちはその先導となるのです。参画要件は示道塾を通じた深い志坐で結ばれていること、連絡会合や學習の旅にご一緒いたき、年に一度はお会いできることの二点のみ。合流をお待ちしています。

※戦艦大和ノ最期:著者が体験した戦艦大和出撃から沈没までを綴った戦記文学。初稿(原文)はGHQの検閲により全文削除。その後改稿して昭和27年に刊行された。改稿では日本人の非情さをうかがわせる救助シーンが加筆されており、朝日新聞が天声人語で部分的に切り取って紹介し問題となった。沈没時に救助艇の指揮を務めた海軍中尉が産経新聞と文芸春秋でその虚構について証言している。
※決意を固めたとされています:生還した搭乗員の証言では臼淵大尉発言の裏付けは取れていない。おそらく作者は搭乗員たちの心境を信望の厚かった臼淵大尉を通じて表現したかったものと思われる。
※富士山本宮浅間大社:主祭神:木花之佐久夜毘売命。官選初代宍野宮司が富士講をまとめて教派神道の扶桑教を立ち上げた。富士講は北辰妙見菩薩信仰の流れにある修験道行者角行が開祖し、江戸時代に疫病が蔓延した際にその呪符によって数万人を救済したと語り継がれる。
※全細胞が共振する変性意識状態:瞑想や飲酒などによって現実指向的な自我機能が低減し、価値志向性の高まった意識状態。真情の発露・没頭状態。フローとも言われる。「武者修行」(歩き遍路や登山)は、それに近い感覚を子どもたちが体験する意図で企画、運営している。
※大自然に対峙するなど:老齢化や余命宣告のように生命の限界に思い至る心情を含む。
※自分が全体の一部分~と考えるのです:拙著「凡事一流」P15のSIIQ理論の仮説。権威あるところだとケン・ウィルバーの「アートマンプロジェクト」が参考になるかもしれない。被災後、時が経って理知が優位となり天との接続が切れたヒトは我欲に傾いた。そのため互助共道隊は「道を共にする」ことを約束としている。
※立志の功は恥を知るを以て要と為す:佐藤一斎 言志録より(大原解釈は一般のものと異なる)
※子どもの子どものその子どもたちに耀く日本をつなぐ:ビスタワークス研究所のビジョン
※「マルハラ」:上司からのショートメッセージに句点(マル)がついていると怒られている感じがするのだと…
※世界の中にありながら世界に属さない:翻訳家・セラピスト吉福伸逸氏の講演録タイトル
※愚法:元来日本は性に寛容だった。宗教で抑圧してきた西洋の運動に追随することが是なのか
※その都度考え実践することになります:凡事一流の精神
※悲観的に準備し、楽観的に対処せよ:戦時中のこころ構え。瀬島隆三氏や佐々淳行氏がよく語った。
※保守反社:社会に反意を示す存在(威力は用いない)
※示道塾グループライン:LINEで情報交換している「日本示道塾連絡会議」というグループ
※勝手連:趣旨に賛同した人間が自発的に集まって活動する集団(全国勝手連連合会のことではない)