ビスタワークス研究所の志事(16) 文・大原 光秦

繰り返してはならない過ちとは

ワタシを求めて。

 夏真っ盛り。まもなく「平成の武者修行」が始まります。今年も全国から中学生が集まり、ネッツ南国の新人たちと冒険に出る計画。武者修行は富山県にも飛び火し、北陸示道塾の同志たちが「越中北陸社中」を結成しました。そちらではプロの登山ガイドにもお手伝いいただいて、日本三大霊山のひとつ、立山連峰を3泊4日で踏破するチャレンジだとか。地域の特色が出ていていいですね。


 中二病という言葉があります。病といっても医学的な病気ではなく、中学二年生頃の男女に多く見られる言動の変化をたとえた俗語。13、14歳ともなると、それまでの無邪気な子供心から卒業を始める年頃です。自分の内側から込み上げてくる情動。セケンやオトナに反旗を翻し、なんとなく付き合ってきたオトモダチとも一線を引き、ワタシというものを求め、ゆらぎ彷徨う時期。「ワタシをコントロールしようとするアナタは何者か?」「そもそもワタシは誰なのか?」、と「ジブン」の自己同一性に戸惑う頃。発達段階でいうところの「思春期」。大人になってしまうと目の前のことに忙殺され、記憶が埋没し、忘却の彼方に失せてしまいますが、思春期は人格を形成する大切な時代です。平成の武者修行が、忘れられない夏の思い出、出逢いの記憶となることを願っています。


 ちなみに私の中二時代の三大事件は、①群れていたオトモダチからの離脱②新しいジブンを求めてアコギ購入③ギター仲間で集ってライブ活動開始、といったところ。その後、バンドにのめりこんでいき、40歳頃まで志事の傍らで音楽活動を続けることになるのですが、詞を書き、歌ったロックなメッセージは、現在の志事とビタッと一致しています(汗)。思えば、このビスタワークス研究所という会社もバンド。オーケストラではなく、少人数で編成するバンドが私の性に合っています。そのバンドから卒業生を送り出すというのは、嬉しくもあり寂しいものなのです。

過去を追及する人。
未来を創る人。

 学生時代、私はマスコミ業界で働くことを志していました。高校も大学も早々に切り上げた私ですが、自分を社会不適応者だとは思っていませんでした。つまらない場所によくみんな我慢して行くな、という傲慢。シゴトでも同じことを繰り返しかねないと思い、自分を主張できるマスコミが最適だと考えたのです。しかし、思想的に共感できるメディアに出会うことはありませんでした。そして選んだのがトヨタビスタ高知。業界ではなく、考え方で入社を決めた会社でした。
 今、マスコミの偏向報道を指摘する声が強くなっています。驚き、呆れ、憤りを禁じ得ない。とうとう私も購読していた新聞社を切り替えました。歪んだ情報を読者に届け続ける意図は何なのか・・・議会同様、問題を特定し追及することに明け暮れるばかりで、理想とする未来やそのビジョンからメッセージを発信しているようには思えません。日本が戦争に向かっていったあの時代。儲けんがための紙面づくりで誤った世論を形成した責任を、いまだ自覚できていないようです。
 その意味では、読者の側の問題も大きいでしょう。番組進行役や芸能人が口々に言っていることを真に受けて、問題にならないことで馬鹿騒ぎし、真剣に議論しなければならない案件を無視する。今の時代、その気になればたしかな情報にアクセスすることができますので、主体的に情報を取りに行き、事実に基づいて考え、話し合うことが必要です。
 あの夏から72年。原爆死没者慰霊碑には「過ちは繰返しませぬから」とあります。今の私たちが「過ち」とされることから改めることがあるとすれば「自らで考え、行動することをやめた」ことではないでしょうか。世の流れと自らの理想とを照らし合わせ、道を求めて生きる覚悟を持ちたいものです。中二の感受性を呼び起こすべき時かもしれません。


 愛する人の為、國家の未来の為に生命を捧げられた英霊、ならびに戦禍に巻き込まれ、尊いその生命を失われた御霊に、心中より哀悼の誠を捧げます。