ビスタワークス研究所の志事(10) 文・大原 光秦

他人は変えられないという幻惑

 6月に会津の大石邦子さんに会ってきました。東京オリンピックの年、通勤途中の事故が原因で発症した第四領域症候群。右手以外身体の自由を失った大石さんは、当時22歳。絶望の淵で生きることの意味を見出していく日々は、自著「この生命ある限り」で描かれています。当時の大石さんが綴った本を読むうちに、どうしても直接お会いして確かめたいことがありました。これほどに彼女の生命を輝かせる大きなきっかけとなった、出光佐三さんの生き様についてです。

出光さんに傷をつけるような生き方だけはしてはいけないと、
これまで生きてきて一番強く心に誓った方でした。
大石 邦子さん

 ある日、出光興産の人事部長が店主室に呼び出されました。部屋に入るや出光さんから質問が飛びます。「君には子どもが何人いる?」「はい、5人の子どもがおります」「5人皆、秀才か?」「え・・・、おかげさまでそれぞれに勉学に励んでおりますが・・・」「5人もいれば多少出来の悪い者もいれば病弱な者もおるだろう。そんな子どもを親が家から追い出すかね?」「?・・・いえ、そのようなことは」「会津の子どもが事故に遭って会社を辞めさせられたと聞いた。知っているかね?」「いえ、詳しくは存じておりません」「すぐに行って様子を見て来なさい!」。ほどなくして大石さんの病室に手紙が届けられました。「必ず会いに行くから、待っていなさい」、そう出光さんが筆でしたためたものでした。そして雪深い初市の日、パトカーに先導されて石油王はやってきたそうです。「くーちゃん、来たよ!もう大丈夫だ」。
 実際には会社から辞めさせられたわけではなく、不治の病であることを知った大石さんの父親が、「これ以上会社のご厄介になってはいけない」と辞表を届けたらしいのですが、出光さんにしてみれば同じことだったのでしょう。以来、出光さんは大石さんとのやり取りを続け、当時の日本で唯一本格的なリハビリを受けられる熱海の療養所を世話しました。そして5年間の歳月を経て車いすで動けるまでに回復されたのだそうです。95歳で最後の息を引き取る直前にも大石さんに電話をかけ、「なに、ここにお医者さんがいるから大丈夫だ。心配しなくていい。それよりくーちゃん、困ったことはないかね」と尋ねられたと。「まさかすぐに亡くなるなんて思いもしなくて・・・その電話でも冗談を言って笑わせてくれたりして、そんな方でした。こういうことは私だけじゃなかったんですよ。会社を辞めなければならなくなった社員が出た時も、奥さんや子どもを路頭に迷わせてはいかん、と生活費と教育費を送り続け、お子さんを大学まで出し、出光に入社させたりとか。そんなことは人に言ってはいけないと。誰にも言わず陰徳を積まれる方でした。日田重太郎さんの影響でしょうね。店主室にはご両親と鈴木大拙さんの写真に並んで日田さんのお写真も飾られていましたから」。
 日田重太郎氏とは、出光さんが家庭教師で入っていた家の主人で、開業資金として8,000円(現在の1億円前後に相当)を提供した方です。「これは君にやるのだから返さなくていい。事業の報告もしなくてよい。君が好きに使え。ただ、独立を貫徹すること。そうして兄弟仲よくやってくれ。」と言われたと出光さんは回想しています。出光さんの人生の原則がこの言葉に凝縮されています。

人間を変えられるか

 示道塾での問答で、よくこの問いを出します。すると、「他人を変えることはできません。変えられるのは自分だけです」と答える方がなんと多いことか。なんの躊躇いもなくそう言うのです。おそらく、交流分析心理学などで教わった「変えられないものは他人と過去、変えられるものは自分と明日」という言葉を鵜呑みにしているものと思われます。そう整理することで、自分が何を為すべきかに集中しやすくなることはたしかですが、漠然と「人間は変えられない」と思い込んでしまっているのでないでしょうか。


 私は採用担当者としての経歴を長く歩みました。誰も見向きもしない地方のカーディーラーに人を誘う挑戦。どうすれば人気のない業界に関心を持ってもらえるか、就職しようと考えてくれるか、退職することなく共に歩んでもらえるか、周りの人間に愛を持って助け合い、働いていけるか・・・試行錯誤の繰り返しでした。経営者であれ、営業担当であれ、教師であれ、親であれ、誰かに影響を与え、人生をより善いものにすることが、ヒト(霊長類ヒト科ホモサピエンス)が社会的存在である人間となって生きる大前提のはず。他の人間に影響を与えるためにヒトは自らを磨き、人間へと発達するのであって、自分のためだけに向上して人間になることなどできません。少し考えればわかることなのに、「他人なんて変えられませんから」と割り切ってしまう。思考放棄しているがために、自身を磨き上げることに本気になれない。40歳になっても50歳になっても外面ばかりでなく内面まで若ぶっていたがるようですが、人間は成熟への道を辿る生き物であり、そのために生物学的に説明のつかない80余年もの時間が与えられているのです。

万物の霊長たる人間は 「環境を作る」力を持っている。
その実践こそ立命である。 さもなければ環境に支配される
安岡正篤

 変えられない「他人」とは誰を指しているのか、考えてみる必要があります。我が子は他人なのでしょうか。伴侶は他人なのでしょうか。親はどうでしょうか。そして社員は。
 出光佐三さんは終戦の2日後、本社に集まった幹部社員に「借金が返せないから会社を解散するだと?馬鹿なことを考えるな。出光の社員は一人として馘首してはならぬ」と言い放ちました。そして日本にいた200人の社員に訓示します。「愚痴をやめよ。世界無比の日本の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」。商売で使える石油などない時代です。国外から引き揚げてくる800人の雇用を守るために、ある者は魚を売り、ある者は自転車修理をして凌ぎました。出光さんは所有していた美術品を売り払い、還ってきた社員たちの住居を用意してやっていたそうです。「住む場所がないというのは辛い。家族に哀しい思いをさせてはならん」。日田氏と約束した大家族主義を貫徹しました。共に働く社員は他人ではない、ということです。
 変えられるものは自分たちの明日。今の私たちにはその覚悟が必要なのではないでしょうか。