ビスタワークス研究所の志事(20) 文・大原 光秦
日本を知る時
平成への感謝
昭和64年1月7日。昭和天皇が崩御されて平成の御代を迎えた年に私はトヨタビスタ高知(現ネッツトヨタ南国)に入社しました。営々と採用活動に取り組む中で仲間たちと出逢い、日本経営品質賞に挑戦し、ビスタワークス研究所を立ち上げ、やがて社内結婚し、子どもたちを授かりました。平成の世と共に生きた実感が強く、幾多の困難も振り返れば麗しく、あらゆるものが縁で結ばれていることを深く実感します。平成の御代が幕を下ろした日、沈む夕陽に感謝の祈りを捧げました。
已むに已まれぬ大和魂
平成最後の桜花舞う四月、恒例の「義を學ぶ、日本示道塾 知覧・万世の旅」を敢行しました。車中や宿で学習会を挟みながら、知覧特攻平和会館と万世特攻平和祈念館を巡る旅。語り部さんの講話を拝聴し、英霊たちの生き様に我が人生を重ね、自らの生き方を見つめ直す時間です。示道塾で研鑽し合った面々が大半ですので、対話の質が高いのはもちろんですが、本年はまた別格の印象。今回は特別に西郷隆盛先生の墓所を訪れ、曾孫にあたる西郷隆夫さんにご講話いただく機会を設けました。激動の時代の大和魂に触れる旅です。
特攻隊のことを知りながらも関連施設に足を運んだ経験をお持ちの方は少数です。その理由を一言でいえば、「関心が低い」ということになります。どうでもいいというわけではないが、それを目的に行動するだけの動機もないというところ。戦争の話題は苦手なので近寄りたくない、という思いを持つ方も珍しくありません。そこで、特攻隊についての理解を聞いてみると、「敗戦色が強くなった戦局を打開するために、軍の上層部が圧力をかけて出撃させた」というあたりが一般的でしょうか。間違いではありません。ただし40文字以内で記せ、という条件がついていれば、の話です。
示道塾の一コマでは日本の近代史を學習テーマにしています。明治維新以降の歴史を詳しく知る方は少ないもの。特攻隊の背景にあった史実を詳しく知ることで、現地に赴いて祈らねば、という氣持ちに傾いてくるようです。体験から言うと、原稿用紙三枚以上で語れるほどの情報量でしょうか。情報がなければ思考できないし、考えることができなければ行動を善い方向へ変えることができません。正しい認識を持つことが大事です。たとえば、「働き方改革」では相も変わらず「いかに休むか」が議論されています。ワークかライフか、正義か悪か、マルかバツか。単純な対立構造でしか思考できなくなったのは、戦後教育の負の成果でしょう。まず、「働く目的」について自らの理想を原稿用紙三枚に記しなさい、というところから「理想とする働き方」を議論しなければ、権利だとか義務だとか、話がつまらない方向に行ってしまうのではないでしょうか。
「和」とは
人類は「社会」を構造化しました。17世紀以降の西洋では、神から与えられた絶対不可侵の人権※1と、万人闘争を回避するための社会契約※2という人工的国家論によって、社会は営まれました。権利闘争により利害が衝突した際、信仰が同じであれば争いは回避され、組織内の秩序は保たれますが、教義の異なる組織が相手であれば、戦闘して決着を付けることが正当化されます。産業革命や市民革命はその副産物といえます。
一方で日本は、一大家族國家たる「和」を根本にする忠孝の美徳によって社会に秩序をもたらした無二の國家です。そして、一國家として2679年という長さの歴史を刻んでいます。もちろん比類する國はこの地球上に存在しません。その流れを記録した國書、日本書紀に、聖徳太子が十七条憲法を制定したこと、そしてその全文が記されています。
十七条憲法第一条(筆者による超意訳)
和を一番大切なものとし、むやみに争わないようにしなければなりません。世に人格者は少なく、群れをつくりたがる。そして君主や尊父に反抗し、近隣と争う。しかし、上の者が和を大切にし、下の者が互いに心を通い合わせて論じ合うことができれば、自然と道理に適った話となるもの。解決できない問題などありません。
「令」とは
新元号に「令」の文字が採用されたことについて、「命令」を連想してよくないと反発した人たちがいたそうですが、令を権力者に結びつけるのは短絡的に過ぎる着想です。令の文字は、神の神託を受ける人の形を表しています。そして命の文字は、令に口が付いたものであり、神託のメッセージを表します。天皇陛下が発するものを綸旨といい、皇太子殿下らが発するものを令旨といいます。あえて言えば権利ではなく権威と結びつく言葉です。上で紹介した十七条憲法は、時の皇太子であった聖徳太子の令旨です。すなわち、「和を令した」ということです。
万葉集が生まれた時代
大化の改新(645~701)の過程で唐、高句麗、新羅の脅威が迫る中、大宝律令が発令されました。天皇を中心とする律令國家を建設すること、元号を用いること、我が國の名を日本とすることなどが定められたのです。そして、神話や伝承の誤りを正して真実の歴史を記し後の世に伝えるべし、と日本書紀や古事記を編纂することが命じられました。壬申の乱という大規模な国内戦争を経て、日本を他国の脅威から護り、独立の道を歩む決意を固めた時代。この時代に生きた武人や貴族、庶民の万の生き様が歌われているのが万葉集です。多様性を重んじる和の精神を表した和歌集。そうした背景までが新元号を定める会合で検討されたか否かはわかりませんが、採択された「令和」が万葉集を典拠としていることには深い意味があるのです。
そして「令和」へ
先の戦いは、国際的孤立が進む過程で我が國の正統性※3を確認して、國家護持を目的とする組織力を生み出しました。さらにその正統性をもってアジアにおける西洋植民地支配を終結させることを志した大義は、2600年来の八紘一宇※4の義を貫く精神と結びつき、最前線にいる兵士達の闘志へと結実しました。結果、「連合国+便乗国 対 大日本帝國」という無差別級の戦闘には負けましたが、日本の國體護持とアジア諸國の独立は実現しました。かろうじて戦争目的は達したのです。
引き替えとなった犠牲を論拠に戦争を絶対悪と断定し、戦争反対、平和が叫ばれてきました。しかしそれに固執するばかりで、故郷、愛する者の為に戦い、殉じた英霊達の真心に哀悼の誠を捧げる、ということに心至らない輩は、恥を知るべし。立志の功は恥を知るを以て要と為す※5、ということです。
戦後の高度成長は、日本人の真面目さ、粘り強さが工業化社会にうまく適応した、とする論が優勢です。間違いではないが、これもまた十分ではない認識。戦争で散華した仲間の遺志を継いでこの國を再建し、誇れる國家にしようと頑張り抜いた人間たちの魂に注目することが大切です。それは、終戦の詔勅で表出された昭和天皇の命(メッセージ)を具現化したものであり、昭和天皇に下された神託です。
「終戦の詔勅」最後部分を抜粋(筆者による超意訳)
國を挙げて一つの家となり、子孫と心通わせ、神の國である日本の不滅を固く信じなさい。それに至る私たちの使命は重く、また歩む道のりが遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾けるのです。道義を重んじ、かねてからの志を強く保ち、一大家族國家としての忠孝の美徳を発揮することを誓い、世界の国々の進歩発展に後れることのないことを決意しよう。國民の皆さん、私が語ったことの真意を深く理解して、一人ひとりが行動を起こしてください。
令和は、一大家族國家である「和」の再建に向かって國民が一致団結すべし、という命が令されたものだと理解すべきであると、私は考えます。
(注)本文中、漢字の國・国が混在していますが、筆者が使い分けているものです
※1:絶対不可侵の人権:天賦人権説(ロック)、人が生まれながらにして持つ固有の権利
※2:万人闘争を回避するための社会契約※:ルソー「社会契約論」
※3:我が國の正統性:「國體(国体)の本義」1937年
※4:八紘一宇:日本書紀「橿原建都の詔」八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)むこと亦(また)よからずや
※5:言志録(佐藤一斎)より