ビスタワークス研究所の志事(8) 文・大原 光秦
広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ〜五箇条の御誓文より〜
いよいよ平成26年も残すところわずか。それぞれの地域で切磋琢磨して働いておられる皆様と交流する中で知恵を分けていただき、それを新しい所にお届けすることこそ我が使命と考え、この1年間もたくさんの出会いの中で生きること、働くことを考えて参りました。その建設的で肯定的な心持ちで健やかに生きられればよいのでしょうが、実情はさにあらず。知るほどに、わかるほどに、雑な生き方をするヒトや世の不条理さへの見立てが厳しくもなり、憤を抱かずにいられない、心休まらない時が増えております。
論議を呼んでいる解散総選挙。その是非はともかく、政局を観ていると「なぜこの人たちは協力し合わないのか」と嘆息することばかり。政党は国家運営にまつわるそれぞれの「考え方」に基づいて結束した組織であり、国民はそれぞれの「考え方」に票を投じて選んでいるわけですから、「考え方」を戦わせることこそが議会制民主主義の精神。しかし、テレビに映し出される映像では、余りに子供染みた「感情」の応酬劇が目立ちます。複数の政党幹部が異見を述べ合う報道番組を視るにつけ、いい大人が揃いも揃って胆力がない。自説をPRすることを目的にテレビ出演しているのか、他党から異見を出されるとすぐに腹を立てて議論にならない。見解の相違からよりよい国政を見出すための多党制なのに、考え方が違うといちいち怒っていては本末転倒というものです。
考え方を合わせるということ
歴史を顧みれば明らかである通り、哲学や宗教、法律や思想などを用いて自国民の考え方を統制することに成功した国家が、自分のことしか考えない、もしくは考えることのできない民の集う国や地域を支配下に置いてきました。考えがバラバラのままの集合体は「群れ」と言います。また、与えられることに慣れてしまい、考えることを放棄した国民を愚民とも言います。いずれにせよベクトルが合っていないため結束力が弱く、様子見したり、睨み合いをしたり。やがて勝ち組と負け組とほどほど組が構造化し、「考えない」生き方をさらに加速させていく。家族や学校の教室、会社から地域や国家まで、あらゆる組織が力を備えるためには、よく考え方を合わせ、話し合い、行動し、改善し続けることが肝要です。
それにしても…国家経営の上部にいる方々、高い知力をお持ちであろう方々は、何故にあれほどまでに対立することを選択するのか。討論の様子を見ていても「そんなことも知らないんですか?」と知識の優位性で鍔迫り合いしていると言っていい。主義主張が異なるのはやむを得ないとしても、せめて事実情報は互いに補完し合い、十分に共有した状態でそれぞれの視座に立ち構想した対案をぶつけ合っていただきたい。真に国の行く末を憂い、国民の幸福を実現するために身を投じるのであれば、「大事」を解決に導くことが志事であり、そのために必要ならば自説を撤回することをも厭わない心構え、勇氣、覚悟が求められます。皆で考え合わせるためには、その材料となる情報を十分に収集し、衆知を集めて精査し、解釈の仕方をどうするかを議論の中で定義すること。…そんなことはわかっていると、それができないから政治家は苦労しているんだと、その道の方には一蹴されそうな話ですが、人が集い営んでいる以上、道理を外した状態で事は成らないと思うのです。
実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり
石田梅岩
そんな風に利害が交錯し、複雑化した社会を上手く世渡りする人を、「バランス感覚のいい人」などと言います。私は、このバランス主義に疑念を持っています。バランスは、「支出」と「収入」のように、混じり合うことのない物理的要素や因果関係論で紐解くことのできる煩雑な問題の解決には有用ですが、人間という非合理性の高い生き物が織り成す複雑な問題の解決にはそぐわない。そこを天賦の才能、見事なバランス感覚で凌いでいる方もたしかにいますが、普通の人が組織活動に勤しむ30年程度の期間で技術的に習得できるものではない。むしろあっちに傾きこっちに傾きしてアンバランスを増大させるのではないのか、と。
「CS(顧客満足)が大事なことはわかるが、あくまでも業績とのバランスを考えて」とか、「CSを高めるためにはES(社員満足)が大事なので、そのバランスをとることが難しい」といった声もよく聴きます。「バランス」を考えているということは、「こちらを立てればあちらが立たず」と、相反する要素がそこにあることを前提としているということ。つまり時間やお金など、限られた物理的資源の配分を調整しているということです。しかし残念なことに、複雑系社会システムで生じた問題の解は、そのレベルの発想では発見できないのです。
組織の目的は、均衡と調和ではなく、
人間のエネルギーの解放と動員にある
P・F・ドラッカー
子供にとって大切な「学び」が「遊び」を極めていく中にこそあったように、お客様に心から喜んでいただける活動を極める中にこそ、働く人の人間的成長があり、やりがいが見出されるもの。その連鎖から確かな収益がもたらされたのが日本という国です。今の時代、遊びも仕事も反復作業的なものとなり、その追究は時間と魂の摩耗でしかなくなったと言えます。「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と言われ続けた子供は、「御用聞きばかりやってないで、さっさと売ってきなさい」と指示を出す子供染みた大人になるものです。今一度、「顧客満足の本質とは何か」「働く喜びとは何か」という人間の心を深く問い、自社の商品分野をよく研究し、よく考え話し合い、「売り手よし、買い手よし、世間よし」と、統合(創発)させられるところを見出さなくてはなりません。
論語に「中庸は徳の至れるものなり」という言葉があります。多くの場合に均衡や調和を説いていると解釈されるようですが、そのような「ことなかれ主義」を指向するものではないと私は考えます。志を立て、思い切った行動を取ってみること。そこで異見の者が出てきたならば、どんな背景からそれを言っているのか、よく聴くこと。そして共に歩むことのできる統合された道を見出すこと。そんな人間を「徳のある人」と言うべきでしょうし、中庸とはその至った姿を言ったのではないでしょうか。
紙幅が尽きました。この続きはまた来年ですね。皆さま、どうかよい年の瀬と年明けをお迎えください。ビスタワークス研究所職員一同、平成26年の感謝を心から申し上げます。