ビスタワークス研究所の志事(22) 文・大原 光秦
令和2年。世界が変容しました。
しかし、それはまだ序章。本当の試練はこれからです。
魂に根差した意を構える。今生をいかに生きるか。
腹を決める時です。
御存知の通り、最古の歴史を我が日本は刻んでいます。大陸からすれば極東の僻地にある島國。環太平洋火山帯の真上にあり、また大海流が交差する地の利から、海山の豊かな恵みを受けてきました。その一方で、過酷な自然災害に幾度となく打ちのめされて来た歴史。しかし希望を失わず、幸福をあきらめることなく歩み続けた大和の民は、2680年に渡って存続する大御心の皇室と共に今日を迎えています。
大東亜戦争下、米国の非道な無差別本土爆撃で200を超える國土が火の海となりました。昭和20年8月6日には広島、9日には長崎に暮らす無抵抗の民の頭上に原子力爆弾が投下されました。そして、夏の真っ盛り、昭和天皇が終戦を聖断なされ、終戦の詔勅がくだされました。昭和20年(1945年)8月15日のことです。
よろしく挙國一家、子孫相伝え、かたく神州の不滅を信じて、任重くして道遠きことを思い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操をかたくし、誓って國体の精華を発揚し、世界の進運に後れをとらぬことを期すべし。(一部筆者が現代語化)
昭和20年7月4日、高知の町は大空襲で焼き尽くされました。この玉音放送に励まされて再建を始めた翌夏に南海大地震が襲いかかります。家々は汚泥に没し、さぞかし悔しく虚しかったことと思います。それでも三度立ち上がり、力を合わせて再建を果たしていった昭和25年(1950年)に、鳴子を手にする「よさこい踊り」が誕生しました。そしてその4年後に第一回よさこい祭りが開かれたのです。
この時代、高知出身の士が日本を動かしました。昭和21年から昭和29年の内、約7年に渡って國を導いた吉田茂。是非はあれども、終戦の混乱の中でマッカーサー元帥と丁々発止しつつ日本を再構築しました。東京裁判をはじめとするWGIP※が日本人の魂を蝕むなかにありながらも、中今に使命を見出し、権力に抗う氣構えと氣骨、自由の氣風、日本人の矜持を示したと聞きます。こうした精神がよさこい祭りに流れていないわけがありません。
私は、よさこい祭りは土佐人が幸福をあきらめなかった象徴であり、「再起の祭」であると位置付けています。その祭りがこれだけ全國に拡散したのは、今をあきらめない、という國民の集合的無意識に共鳴したのではないでしょうか。
「再起の祭」中止が決定
今夏、67回目を迎えるはずだったよさこい祭りは中止となりました。そして、夏の甲子園までもが中止と決定されました。高知が、そして日本が元の状態に戻れるのはいつになるでしょうか。誰にもわかりません。もう戻れないという声もたくさん聞こえます。そう、終戦時の日本人も皆そう思ったことでしょう。あの大震災の時もそうでした。
戻れないのであるならば、中今を本氣で生きればいい。勇氣を分かち合い、一日一日を丁寧に生き切る。ご先祖にできたことが私たちにできないはずがありません。
今、人類は、新しい世を迎えようとしています。経済偏重、物質主義文明で利害が対立し、複雑化し、VUCAはますます加速します。遠からず極限に達することでしょう。和を令すると宣言した私たち大和の民が、その集合的無意識に光をあて、潜在する力を解き放つ準備を始めなければならないように感じています。
※ WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム):大東亜戦争の終結後、GHQによる日本占領政策の一環として行われた、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための洗脳政策。