ビスタワークス研究所の志事(14) 文・大原 光秦

深まりゆく使命への確信

 平成28年もいよいよ大詰めとなって参りました。たくさんの皆様から賜ったご縁にまずもって感謝申し上げます。
 さて、北朝鮮水爆実験で幕が上がった本年は、前年には思いもよらなかったことがたくさん起きました。今、アメリカでは大統領選の余波で国内の混乱が続いていますが、これは6月のイギリスのEU脱退の時とよく似た情勢です。その頃に就任したフィリピン大統領は内外で大旋風を巻き起こし、韓国もまた大統領周辺で大騒動となっています。資本主義民主国家で進行する内部崩壊と社会・共産主義勢力の台頭。混迷の度を増す世界情勢と未来から忍び寄るシンギュラリティ問題※1。いよいよ「日本はどうあるべきか」「日本人としていかにあるべきか」を問い、背筋を伸ばし生きていくことが求められます。私たちは、競合と消耗戦を展開する敵対経営から脱却し、「大義に根ざす無敵の経営」へとシフトしなければなりません。

協調性はいらない

 採用や育成の現場にいると、「素直で協調性のある方を求めます」「私の長所は協調性です」という表現に触れることがよくあります。そのたびに、「協調性?いらんろう」と思う私。たしかに、環境や周囲の人間に合わせる能力は人間の持つ貴重な特質のひとつです。が、それはおよそ思春期までの子供に躾として求めるところにすべきではないでしょうか。感情の扱いが未熟に過ぎる少年、少女が周囲の大人や環境に協調することで経験値を高め、人間的に成長、発達することは大事なこと。しかし、それなりに経験を積み、考えを持ち始めた人間にまで「協調性を求める」というのは、「波風立てず、うまくやって欲しい」という、こちらの都合であり、そこで想定される「素直さ」とは、「自分の頭で考えることをしない」傾向に近いものだと考えられます。組織内外に立派な先輩や上司が大勢いて、若者が協調し順応することによって自然と人間として高まりゆく風土が醸成されているならば話は別ですが・・・いや、それでもやはり協調に過ぎるとその組織内部での学習機会が乏しくなることは必然。環境変化が想定範囲の時代であれば、環境順応しさえすれば事は済むのでしょうが、激変する現代においては、常に最善を求め変容し続けていく人生態度が必要です。そのために求められるのが「私はいかにあるべきや」という統合された自己概念。そうした意識の未成熟さが個人主義と思考放棄を許し、多数決原理で意思決定する民主主義国家の崩壊を引き起こしつつあるのです。

君子は和して同せず

 協調性という言葉を狭く解釈している、と言われればそれまでですが、曖昧さを排除するために「調和力を求める」と言い改めた方がいいのではないでしょうか。漫然と周囲に合わせるのではなく、自分なりのものの見方や考え方を持ち、主体的に他者と関わり、考察、対話、行動、省察する営み。他者の持つAという価値に自分の持つBという価値を交わらせることで新たなるCを生み出す。生命の交配のようですが、それこそが変わりゆく自然環境を生き抜く生命体の摂理です。狭義の協調性がもたらすようなコピーの連続では危うい、ということですね。
 余談ですが、先般ある講演会でこれにまつわる話をしたところ、中堅の管理職と思しき方から質問が出ました。「心の持ち方が大事だとは思いますが、現実には長時間労働や休日出勤があり余裕がありません。働きやすくする環境整備が先決ではないでしょうか」というものです。
 今年10月に大きな話題になったある有名企業の過労自殺の問題も注目されています。国民一人あたりGDPが向上しない我が国において、生産性を高めるためにもワークとライフをバランスさせることが大事、とするのは合理的でわかりやすいのですが・・・我が国における問題の本質は、「一所懸命に働くことが誰へのどのような貢献となり、それがどのように自分たちにとって素晴らしいことなのか」という、社員たちの組織活動への響鳴、使命感と効力感の欠如です。古人がそうしたように、何事も陰と陽の両面から考えてみること。とかく他国(他社、他者)と相対比較して対処策的な戦術を展開しがちですが、国風(社風、自身の志座※2)に応じて本質的なところで考える。考え抜いて統合、中庸、昇華を目指すことが長の務め。それを、我が国では「和」として重んじてきました。

平成武者修行

 心理学に「計画的偶発性理論」(ジョン・D・クランボルツ)というものがあります。人生(キャリア)の8割は想像しなかったことに遭遇することによって決定されるとするもので、「18歳の時に志望した職業に就いている人は2%」という統計が示されています。「偶然が人生を決める」とシンプルに表すと場当たり的な印象ですが、その偶然を計画的に設計し、場に身を置くことで人生を向上させよう、とするのがクランボルツ教授の考え方です。そこで求められる行動特性として、

好奇心:世界や人間、できごとに関心を持つ
持続性:諦めない、割り切らない
楽観性:実現できると信じて行動する
柔軟性:自分を見直し、考え方や行動を変える
冒険心:不確実性に挑戦する

の5つを挙げています。
 計画的偶発性理論が発表された1999年、それを知った私はネッツトヨタ南国の採用活動や新人研修、インターンシップ、イベント活動など、あらゆる場面に組み入れて、試行錯誤を重ねました。その集大成となったのが日本経営品質賞の受賞であり、その最新の挑戦が、今回の特集で取り上げた「平成の武者修行」です。置かれた状況下で一所懸命に努力することによって、かけがえのない人間関係が育まれ、世の中の認識を新しくし、乗り越えた体験が自分の原点となる。その体験の場を設えていくことこそ、私たち大人の使命です。
 東日本大震災被災体験を機会として立ち上げた示道塾では、再起力※3の重要性を幾度となく訴えています。見通しの効かない混迷した社会を生き抜くためには、上記の5特性の獲得は必須です。そしてその過程で「突き抜けた理想」を描き出すこと。武士道では、義命※4を重んじました。ただ宿命を辿るのではなく、大義を明らかにし、そこに生き切る覚悟を立命といいます。来年からは、示道塾を開催している各地の同志の主催で「平成武者修行」が順次展開されます。地域に生きる人間の調和によって日本人を、日本文化を育み直す。来る年も、私たちの挑戦に力添えいただける同志との出逢いを愉しみにしています。何卒宜しくお願い申し上げます。

※1 シンギュラリティ問題:人工知能の開発が特異点を超え、テクノロジーが人間の制御を凌駕する。その転換期をシンギュラリティ(技術的特異点)と呼び、以降の科学技術の進歩を支配するのが人工知能に替わることが危惧されている。
※2 志座:視座から派生させた示道塾用語。諸活動を統合する理想や大義を表す。共通の志座に基づいて活動するために複数の人間が集っているものを「組織」、志座なく、ただ活動している集まりを「群れ」としている。
※3 再起力:逆境に直面しようとも、諦めることなく打開策を打ち出して克服する力(レジリエンス)。
※4 義命:生命には、時の流れによって運ばれる「運命」がある。なかでも人間は心、魂を宿すため、自ら軌道を修正することによって宿命に至る。それを避けられないものとしてただ受け入れるのではなく、「義」を定め、宿命と向き合って生き切ること、それを立命という。