ビスタワークス研究所の志事(15) 文・大原 光秦

唯一無二の私

受け継がれた命

 東日本大震災から6年が経ちました。今なおご苦労されている皆様へのお見舞いと、亡くなられた方々、未だ行方がわからない方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 私の長男は震災の年に誕生しました。あの日、妻の胎内で5ヶ月を迎えようとしていました。私は仙台で地震に見舞われ、厳しい状況の中で、子に会えなくなるかもしれない、と悔しく思ったことでした。今や弟もでき、怖いものなどなく遊び呆けて目の前で眠る5歳と3歳。受け継がれた命に思いを馳せるひと時です。

我々は何処から来たのか
我々は何者か
我々は何処へ行くのか

 これは、ポール・ゴーギャンが1898年に描いた有名な絵のタイトルです。「私は何処から来たのか」という問いは、ネッツトヨタ南国の前身、トヨタビスタ高知の最初の会社案内パンフレットでも学生に向けて発せられました。私はどんな成分からできているのか(左頁)・・・。今回は、最近私が試みている祖先探求の話をしてみます。
 私の「大原」の姓は母の家系のものです。生まれ育った大原家については供養を欠かさないのですが、早くに別離した父方、森本家とは長らく疎遠でした。今回、祖先探求に乗り出したのは男系男子である父方の尊属についてです。
 幸い、信心深かった祖先のお陰で男系男子尊属8世代までは簡単に遡ることができます。8世代前というと江戸中期の18世紀。そこから昔は、先祖が興したとされる神社の来歴や復元した古文書に頼ることになります。由緒正しいものと思われますが、どこまで定かなのかは確かめようがない。手がかりは地元の歴史民俗資料館に収蔵されていると聞いていますが、古文書など通読できない私のレベルではどうにもなりません。そんなこんなで、まずは手堅く、直近8世代に限って調べることにしました。
 手始めに、とネット検索。数年前に試みた時には既知の情報しかなかったのですが・・・あら不思議、6世代前の祖先の名が、歴史データベースにヒットしたのです。姓名、生没年、生没地、配偶者名等々が100%マッチしました。そしてそのデータベースに格納されていた5世代から3世代前の祖先や配偶者の情報が芋づる式に現れ、手元の資料と照合できました。ビッグデータ、恐るべし。思いを馳せるうち、父が幼い頃に刀を持ち出して祖父に木から吊るされた話、終戦間際、金属回収令ですべての武具を供出した話・・・昔聞かされた話が記憶の縁から蘇りました。
 新たに聞いた叔父の話から、江戸末期頃には神職にあったことも明らかとなりました。嗚呼、さもありなん。神と縁遠い環境で育ったのに、歳を重ねるに連れ導かれるように俗世から離れてゆく私・・・。今や、妻や社員、横田までもが「仙人化」していると言うのですが、それも致し方なし、というところです。もうひとつわかって興味深いのが、5世代前の祖先が坂本龍馬と同じ1836年に生を受け、誕生月も2ヶ月違いと極めて近いことでした。土佐の人口が現在の四分の一ほどの時代。当時の地理や流れを考え合わせると、龍馬や中岡慎太郎、岡田以蔵等と同じ時期、武市瑞山(半平太)の影響が及ぶところにあったことはほぼ間違いない。昔から強い関心を持つ時代だけに興味が膨らんできますが、それ以上の確たる情報はありません。いくら考えたところで妄想です。でもいつか、あらゆる史料がビッグデータに反映され、情報集積されることでおもしろいことがわかるかもしれません。

本心を受け継ぐ

 そんなこんなの流れで、先週少し遠出の旅に行って来ました。前世と現世、後世の世界を繋ぐことのできる方に会うための旅です。誤解を招きそうですが、私は宗教家ではありません。むしろ霊感は弱く、スピリチュアルな体験もした記憶がありません。しかし縁に導かれ、この30年という長きに渡って「人間」というものを考える機会を得たことは特異なことだったように思います。一般に、現代人は「人間」とは何なのかを深く考えることなく、やり過ごすものです。自分が人間であることで疑問の余地がないのか、差し迫らない限り、深く考える事をしない。考えるだけ無駄だ、と積極的に割り切る人も少なくありません。しかし、「自らの存在を考える」ことに価値を見出せないのであれば、他の生物と変わらない。人間とは何かを問うことなく、真に人間を尊重することなどできるはずがありません。思考停止の態度は非人間的であり、人間性の放擲であり、文明の崩壊を招くものではないかと・・・少々大袈裟な話になってきていますが、ただ少なくとも、人類社会に善き影響を与えた偉人達は、例外なく「人間とは何か」を問い、生き切った証左があるのです。
 ともあれ、旅先で人智を超越した方々にお会いしてきました。詳細には触れませんが、今回の体験を通して、「命は滅さない」ことがわかった、という感覚があります。知識として「知った」というような話ではなく、また神秘に触れて盲信するようなものでもありません。漠然としますが、「あぁ、わかった」という清明な感覚です。肉体が滅んでも魂は続く。私の中で、現世の生き方、終い方がいよいよ大事となってきました。
 もうひとつわかったこと、それは子が親をよく弔い、想いを致して受け継ぐことをしないと、その魂が彷徨うということです。魂が彷徨うと、一つ隔世して孫の代に因縁がいくようです。今回の旅でそれを教えられたということではなく、四恩礼(示道塾の実践課題)を通じて私が経験的に感じてきたところが、今回はっきりとわかりました。親子の関係、とくに父と息子の関係が大切。父が許せない、という話はどこででも聞きますが、どんなに非道に思えた父でも、それが父の本心ではなかったはず。父が本音に惑い、本心に生きることができなかったとしても、子はその本心に想いを致して受け継げばいいと思うのです。幼い時、運命によって父と関係を絶たれた私はそう考えます。

父とその父が生きた時代

 とてもそんな気になれない、という方のためにもう少し。
 団塊世代の父を持つ方は多いと思います。戦中、戦後生まれの父は、父として未熟なものです。彼は、占領政策で日本精神が破壊され、大和魂が承継されぬよう土壌改悪された環境で育ちました。そして、そのまた父は終戦まで信じ込んできた生き方のすべてを否定され、過去をなかったことにする他なかった。受難者として人生を語った祖父は少なくありませんが、主体的に生きた自らの半生を誇りとして子に語ることを選んだ祖父は圧倒的に少数です。言い過ぎだと思われるかもしれませんが、そうした精神的支配下にあった日本で育ち、目の前のことに没頭して経済復興に貢献したのが団塊世代。その父がやがて子を持ち、影響を与える年齢三十代となったのが、懐かしき80年代。日本は好況に酔い、仁義も志も忘れ去られた時代を爆走しました。その時代を生きた父は、どうしても日本人の父として未熟なのです。そうはいっても父は父。まだご存命のうちにその本心に触れる機会をお作りになるといいですね。我が子に語り継ぐべき、祖父や曽祖父の物語が蘇るかもしれません。