ビスタワークス研究所の志事(6) 文・大原 光秦

立志の功は、恥を知るを以て要と為す ~続・阿呆道から考えること~

 日本を取り巻く国際情勢に緊張感が高まっています。米大統領が来日中に示した尖閣にまつわる見解、従軍慰安婦に関する認識、TPP交渉における主張…。いずれも従来から発していたメッセージをことさら鮮明に打ち出したものながら、どうやら米国は日本との関係を構築し直したい意図があるようです。
 その一方で国内はというと・・・相変わらず子供染みた茶番劇が続いています。年が明けて早々にびっくりしたのが和製ベートーベンさん。話題になったN○Kスペシャルを視て、早々にCDとDVDを購入した単純な私は、空港のテレビで知った驚きの顛末にしばし茫然自失。同じ頃、私の家内は次男が生まれた入院中のベッドから「じぇじぇじぇ!」と言いながら転げ落ちたとか。あまりのあり得なさ加減に我が家は笑いに包まれたことでした。
 一方でまったく笑えないのがSTAP細胞にまつわる報道や世の声。ネットの世界でも様々な見解が交錯し、現代日本の民度を測るのに最適な案件のようにも思えます。私自身は小保方さんが4月9日の記者会見で語った言葉を信じ、動向を見守る立場です。世にはそういう中年男性が少なくないらしく、『女子高生レベルのお涙頂戴会見でオトコどもを味方にする女子力』などと揶揄する方もいるようですが、女だろうが男だろうが関係ない。誰かを傷つけたり責任転嫁や言い逃れしたりすることがないように精一杯配慮して想いと考えを伝えようと、あれほどに懸命に努力できる人間が今の時代に果たしてどれだけいるというのか。あどけなさは残るものの、一問一答する態度に真摯さを感じましたし、彼女が語った内容に偽りはないでしょう。少なくとも献金問題で冷や汗を流しながら会見していた政治家達よりよほど誠実さが感じ取れました。
 こうした見解に対して、有識者の多くが「そんな情緒的な問題ではない」と断じておられるものには数多く触れました。しかし、それぞれの「私」が何を問題にするかによって問題が決まるということを含みおかない偏狭さを感じざるを得ません。STAP細胞が事実として存在する科学的根拠を示すべきだったという声もごもっともですが、それはネイチャー掲載の小保方論文以前に、その驚くべき事実を確認した上で特許申請まで済ませている(2013年3月)理研が本来為すべきこと。そうしたことは大前提として開かれている記者会見なのですから、証拠を示さなかったから不十分だとする見方には「無茶を言うちゃりなや」と思う次第です。
 質問を投げかける取材者の態度に憤りを感じる場面もありました。中でも知名度の高い出版系N社の記者の態度は非道かった・・・いったい何があれほどの攻撃的態度に駆り立てるのか。たしかに、理研に籍を置くユニットリーダーでありながらのこの始末。未熟云々の説は至極ごもっともなことですが、謝罪している者を執拗に責める振る舞いがテレビ画面を通じて茶の間に流れることの方が問題は大きいように思えてなりません。『失敗したら叩かれる』そんな風潮を助長した今回の報道は、間違いなく子どもや若者達の芽を摘むことになるでしょう。かの組織では、若い人財に挑戦してもらおうと進んで若手を抜擢し、リーダーに配置していたと言うのですから、呆れ返る自己矛盾。阿呆道と言うほかありません。

正義と不義、善と煩悩とを分別し考えること

 この一件を「性善説」が招いた悲劇と語るメディアも散見しました。性善説というのは無作為、盲目的に他者を信じ込むという立場ではありません。人の本性は善といえども、置かれる環境や人間関係の中で曇ってしまうもの。曇るとは言え、それが即ち善の対極とされる悪に陥るということではなく、煩悩に流され過ち得るということ。時に自己流にやってしまったり、手抜きをしてしまったりすることになりかねないということです。であるからこそ、日本では「人の間でいかに生きるべきか」を問い、考え、実践することが求められてきました。性善説とは、良知を発揮させるためにこそ規範を明らかなものとして浸透させ、またそれを率先垂範する「大人」が模範として影響力を発揮することを求めるものです。「皆が精一杯やっているのだからいいじゃないか」というような甘えの構造を指すものではありませんし、ましてや自分の首を賭してでも守ってやろうとする上司がいない乾いた集団に、衆知を集め、文殊の知恵が授けられるようなことなど望むべくもないでしょう。長であるならば事象にとらわれることなく、何が大切であるかを常に念頭に置き、文脈を見渡して冷静に考え、対話する。「鋭い視点」や「広い視野」も大事でしょうが、そうした「高い視座」を持つことがもっとも大切だと考えます。当該組織が研究者集団であるため、そうした素養や胆識がないというのであれば、そこを補う国家的な支援が必要なのかもしれません。

成らぬは人の為さぬなりけり

 まさに今、内憂外患の日本。ローマや幕末の例に漏れず、まず組織の内側にある問題を我々自身で制することができるかどうかが存亡を決める要(かなめ)となります。トインビーが説いたように、外からの挑戦に対して「やられてたまるか」と皆が応戦体制に入る気運を盛り上げられるかどうか。今回のSTAP騒動は、2011年の電力会社の不始末同様に、この日本を代表する(と外部からは見える)組織がその機運に乏しいことを世界中に知らしめる顛末となりました。事態がどうであれ、無責任なことを思いついたままに口にする幼稚さは捨て、「日本人として」「未来に責任を持つ大人として」それが世に問う価値があることか否かをわきまえ、覚悟し言動する胆識が求められています。これほどに世が動揺し、危機感がみなぎっている今こそ、本氣の組織づくりに取り組む好機であることは間違いありません。