ビスタワークス研究所の志事(18) 文・大原 光秦

サムライになれない子どもたち

 桜の美しい時節となりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。  数日前に愚息が卒園しました。東日本大震災の年に誕生した長男もはや6歳。あの年に体験した出来事が今の私に大きく影響しており、子の成長を励みにして、少しでも世に貢献できる人間になろうと精進する日々です。
 そんな折り、卒園文集なるものが持ち帰られていました。タイトルは「ぼくのゆめ」。さてさてと我が子のページをめくると・・・

「ぼくは、サッカーせんしゅになりたいです」と書かれ、観客席の前でプレイする選手の絵が描かれているではありませんか。「なかまとたすけあって、きんメダルをとりたいです。おとうさんとおかあさんにおうえんしてもらいたいです」とあるのです。世のご家庭だと笑顔が溢れ、「おーっし、日曜に練習しに行こう!」となる流れ。しかし、人事の鬼を両親に持つ我が子。まやかしは通りません。
 私「見たかえ」家内「見たぁ」。「聞いたことあるかえ?」「知らんで」。「妙な話やろ」「どうしたろうねぇ」。・・・大原家ではサッカー文化が開花しておらず、テレビ中継も観る機会がありません。園で異文化に触れている息子ですが、「サッカーたのしかった」なんて聞いたこともないのです。1歳の誕生日に長山夫人からもらったサッカーボールがありはしますが、ずっと同じところに転がったまま。夢に脈絡がない・・・。風呂に入りながら、子どもに聴いてみました。「いつから考えよったがで?」。すると・・・

「ボクねぇ、りっぱなおサムライさんになるってかいたがやけど、せんせいにいかんっていわれたが」「もうおサムライさんはおらんき、なれんがやって」

 その昔、幼稚園に迎えに行くと、お友達たちから「おしごとなに?」とよく聞かれました。「おサムライさんよえ」「カタナは?」「使わんき家に置いちゃある」と。うわさは広まり、行くと「おサムライさんがきたぁ」と迎えられます。そして愚息は「おとうさんみたいになる。おんなじになれる?」と常々言っています。『先生よ、おサムライさんがおる、おらんを教えることやのうて、子どもの心の世界を知り、励ますことが志事やないがかえ』・・・先生に悪気がないことなのでそんな説教はしませんが、『こうやって枠にはめていくがよねぇ』と嘆息した出来事でした。
 この一件では、もうひとつ考えることがありました。先生に諭された後、愚息なりに私の仕事を作文に表現しようとしたのだそうです。「社長」と言ったら母に怒られる。「先生」と言ったら「違うで」と父に言われる。で、わからなくなったのだと。でも何か書かないといけない、どうしよう、ということで隣にいたカツトさんのサッカー選手案を拝借したのだと。私は大いに反省して、その夜、風呂に入りながら私の志事を説明したことでした。まだピンとはこなかったようですが、この時代にこそ、おサムライが必要であることが少しわかったようです。


 なぜ必要なのか・・・。また「モリトモ」で空転している国会、皆さんはどのようにご覧になっていますか?私は、放縦を極める地上波と思惑で誘導する新聞などのオールドメディアは見ません。それでも彼らが大衆を扇動し、魂胆のある議員達がそれを利用していることはわかります。VUCA※1が増している「この時」に、國家運営に機能不全を引き起こして國難を招致しようとしている。昨年までは、権力や金欲しさに騒いでいる阿呆どもだと思っていましたが、ここに至ると國賊だと考え至ります。この罪を問うのに、我々には投票という手段しか持ち得ないのでしょうか・・・。正しい情報に基づいて自分の頭で考えることが大事です。大義に燃えるネットメディアがいくつか立ち上がっていますので、ご自身でお調べになり、大切な社員の方々の蒙を啓くことを強く求めたい。そんな、士の道に生きるサムライが必要です。


 上段に、私たちの歴史を時系列に並べてみました。もともとは田舎の小さなカーディーラー。仕事に向かう内に新しい仲間と出会い、未来を語り合うことで「問題意識」を上書きし、出来ることを愚直に実践し続けて参りました。「人が採れたらいい」から「同志と出逢い仲間に加わってもらう」へ。「人が辞めない職場づくり」から「全員が本氣で働く職場づくり」へ。「自社の繁栄」から「日本の未来、子どもたちの未来に資するために今、何ができるか」へ。「仕事」から「志事」へ。
 時代が激しく動いています。期を新たにして4月から立ち上がる示道塾、立志塾、克己塾、和塾、視察学習会等々、様々な研鑽の機会を皆様とご一緒できることを心中より祈願しております。

※1 VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字を繋げた造語で、これら4つの要因により、現在の社会経済環境がきわめて予測困難な状況に直面しているという時代認識を表す言葉。