ビスタワークス研究所の志事

 ビスタワークス研究所は、講演、学習会を本業とする会社とご認識の方が多いことと思います。実はそうではありません。高知で生まれた子どもたちが故郷で就職し、力強く生きていくための実効力ある学びの場を提供する。その機会を広げるという大義のもとに、学校や企業、地域が相互補完的に協力し合い、社会を再生する。その流れを生み出していくことが私たちの使命であり、その具体的取り組みが私たちの本業です。ただ、それだけを言うと綺麗ごとに感じてしまわれるかもしれません。私なりに、そう決断するに至った経緯があります。
 私がトヨタビスタ高知(現ネッツ南国)に入社し、採用担当になったのはバブル絶頂の時代。田舎のカーディーラーに関心を示す学生などほとんどおらず、学生集めには苦心しました。それ以前は横田英毅(当時の社長、現ネッツ南国相談役)が採用担当を兼務しており、それを私のような新人が全面的に引き継いだのですから、なおさらです。とはいえ、私にはプレッシャーのかけらもなく、むしろ伸び伸びとやらせてもらえて気楽なものでした。それは、横田が「入社がゼロということになったとすれば、それは採用できなかったのではなく、採用すべき人がいなかったということ。ウチは基準を下げてまで採らない」と常々話してくれていたからでしょう。それは私を気遣ってのことかな、とも思いましたが、機会あるごとに同じことを全社員に伝えていました。その言葉を聞いた社員の多くは、「こここそが自分の居場所だ」と思えたことでしょうし、私も仕事に誇りを持つことができ、とても恵まれた環境で働かせていただきました。
 ともあれその言葉を胸に、県外に進学した学生に会いに行ったものです。東京や大阪でホテルに寝泊まりしながら電話をかけまくり、夜誘い出して酒を交えながら熱く語るといった泥臭いアプローチ。採用活動というより女性を口説き落とすような雰囲気さえありました(もちろん会っていたのは男子学生です)。やるべきことをすべてやり尽くしたうえでなければ、今年は採用すべき人はいなかった、なんて言えない。そんな思いで一所懸命でした。結果、1年目は営業志望の総合職男性スタッフを2名採用できたのですが、入社から数年で二人とも退職してしまいました。2年目はガラッとやり方を変え、高知の夏の祭典、よさこい祭りを全面的に学生に任せる企画を立ち上げました。それをテレビ番組にして放送するから学生集まれ!といった趣向です。結果、同職で男性スタッフ7名を採用。その段階では大成功♪と図に乗りましたが、やはり3年ほどでバラバラと辞めてしまい、現在残っているのは2名のみ。辞めた当事者達には想像もつかないことだと思いますが、入社まで精一杯関わった私にとっては実に苦々しい経験となりました。そんなことを繰り返しながら、学生との向き合う姿勢が段々に本氣の真剣勝負になっていったのです。(1/2)