ビスタワークス研究所の志事(9) 文・大原 光秦

順境の時こそ悲観せよ、逆境の時こそ楽観せよ。〜出光 佐三氏(出光興産創業者)〜

 先頃、ビスタワークス研究所が主宰する示道塾にご参画いただいている方々を中心にお声がけして、北九州市門司に行ってきました。そう、出光興産の始祖出光佐三氏の創業の地です。当地には同社の歴史を紹介した「出光資料館」があるのですが、建物本体である「出光美術館」の改修工事に伴って2016年秋頃まで閉鎖されることを知り、訪れたものです。以前、出光佐三氏を主人公に見立てた「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹著)を読んだ頃は、その物語が劇的過ぎて、その多くは作家が創造したものだろうと思ったものでした。しかし、以来関心を持って調べていくうちに、それが小説というよりも史実であることを知るに至っていたことから、その物語の始まりの地である門司への旅は感慨深いものでした。
 資料館で購入した書籍「日本人にかえれ」(出光佐三著)や対談集「永遠の日本」に記されている出光氏の思想、哲学にはただ首肯するばかり。僭越ながら共感するところがあまりに多く、早くに知り得たならば、同社への就職、転職を試みたかもしれないなどと思ったり(笑)。私の人生も半世紀に及ぼうというところですので、氏の人生に触れる機会はこれまでにもあったはずなのですが、そうならなかったという現実。結果として私はトヨタビスタ高知(現在のネッツトヨタ南国)で働き始め、探究してきた生き方や働き方の基本となる考え方。その幾許かを自身で発見したかのように思ってきましたが、それは錯覚。いくらかでも先哲の教えがまだ溶け込んでいる社会に生きるうち、少しずつ心に染み入り、機会を得て再構築したに過ぎない。そんなことを思い知る、邂逅の旅となりました。
 では、その出光氏の考え方はどのようにして形成されたのか・・・。記録によると、氏は生来視力が弱く、あまり読書を好まなかったようです。たしかに、対談や著述には古典や偉人の哲学を引用しているところがほとんどなく、「師から学んだ」「私はそう考えた」という表現が散見されます。天命に導かれるように困難を選び、その都度深く自問し、考え抜き、自身で哲学を紡ぎ、乗り越えて来られたのでしょう。その故か、言動に迷いや揺らぎがなく一貫している。影響力(リーダーシップ)の要諦、「真摯さ」について、いまだ明らかにされておられない諸兄にはぜひとも氏の生涯に触れられることをお勧めしたいところです。

弱さと悪と愚かさは互いに関連している。
弱さとは一種の悪であって、「弱き善人」では駄目である。
智慧の透徹していない人間は、結局は弱い。
森 信三

 以前にもここで取り上げた至言です。知恵を得るためには挑戦が求められ、挑戦するためには考えることが求められます。そして、考えるためには善を求める心構えが必要。逆に言うならば、生きる中で最善を常に問い、自答し、行動を変える努力を怠る者は愚かであり、悪と結びつく。端的に言うならば、思考しない者は弱く、悪に落ちる、ということです。それを逆手にとって強力な組織化を実現しつつあるISIL。かつてのナチスも同様。構造的には、大東亜戦争時の日本の軍国主義やオウム真理教事件なども似て非なるものではありません。闘争においては、兵が命を省みなくなるほど厄介なことはなく、思考停止によって組織力を強大化させ得る。権力者が創り上げた虚構世界によって行動統制する図式です。
 そうならないよう、善き生き方を学ぶ徳育の必要性について、出光氏はもちろん同じ時代を生きた松下幸之助氏も訴え続けていました。皆さんの多くも同じ考えではないでしょうか。もちろん私も同様なのですが、現代の世相をみていると、【道徳が大事 →道徳の教科化】という表面的なところで異見が交わされており、浅薄で拙速な印象が拭えません。個人が拙速なのは悪いことではありませんが、国策の議論についてはいただけません。・・・何が言いたいのか・・・道徳が重んじられていた明治に生を受けた先人達が、なぜ全体主義思想(全員的思考放棄)に陥ってしまったのか。その空気が創り出された一因に道徳があった、と考えてみることも必要ではないかということです。つまり、江戸末期、国を守るために侍は刀を捨て、明治の幕が開けました。西洋列強によるアジアの植民地支配が進む中、文明開化、富国強兵、殖産興業は必然だったとしても、一気呵成に進む西洋化で損なわれつつあった国体。そこで明治23年に発布されたのが「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」です。言わずと知れた大日本帝国における修身・道徳教育の根本規範です。日本中の子ども達が修身としてそれを学んでいる情景は素晴しく思えるのですが、脈々と受け継がれてきた文化を文部省が主導して形式知化し、指導した過程に問題はなかったか、と。それまで、一つ屋根の下、祖父母から孫へと継承された生き方の暗黙知が、教育勅語というカタチに結晶した。それによって引き継がせ易くはなったものの、可謬主義的に考えることを止め、戦局が進む中で換骨奪胎され、劣化コピーが繰り返され、多くの国民の思考までをも硬直化させたのではないか、と考えてみることはできる。それについて、修身教育を徹底批判した日教組においてすら事実に基づく十分な検証をなしたとは思えず、戦後の文部省においても日和見的な対応に終始。在野の有識者が議論を立ち上げても右だの左だのの情緒的反駁の応酬劇が繰り広げられて話し合いにならない。そうした延長線上にある現代日本に、どれだけ道徳教科書を扱える大人、教員がいるのか。遅きに失したところとはいえ、大人の再教育、師範学校の再構築から手順を踏んでいく必要があるように考えます。

教育勅語(教育ニ関スル勅語)[原文]
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日 御名御璽

 誤解がないように蛇足しますが、私は、教育勅語が世界に比類ない水準の日本文化の結実であるという考えにも、道徳の教科化についても賛成の立場です。人間が考えに考え、考え抜いて意を決して生きる規範としての修身教育。問題にしたいのは、歴史を省察し、たしかな議論をおこなうべきである、ということです。皆さんはどのようにお考えになりますか?